自分を土台に役割を生きる
心理の話
人は会社の門をくぐると、社会人として、会社員としての役割を生きることになります。
けれど、その役割を生きている主体まで会社に渡してしまうと、どこかで歪みが出てくることがあります。
主体 というのは あなた個人 そのものです。
逆に、役割を引き受けずに個人のままでいようとしても、会社という場では立ちゆかなくなります。
だから、必要なのは、「自分」という土台や芯を持ったまま、会社員という役割を生きることなのだと思うのです。
自分という土台を持つこと=あなたが思うままに無条件にふるまうこと ではないのだとも思います。
私は、お越しくださる方、お会いさせていただく方、どなたも「たった一人の人」だと思っております。
ここでいう「たった一人の人」とは、誰とも同じではない唯一性のことです。
けれど、それは「自分だけが特別である」という優位性とは異なります。
自分がかけがえのない存在であることと、自分だけが特別であることは、似ているようで違います。
「だけ」自分だけが が入ってくると、他を排除する方向が生れます。
他を使って(他を排除して)自分だけが特別であろうとする。
あるいは、他を下に置くことで、自分を保とうとする。
ここで少し心理の話をいたしますと・・・
交流分析の中の考えのひとつで「ゲーム分析」というものがあります。
ゲーム分析とは2人以上の人間がおこすコミュニケーションのパターンで、いつもなんだか後味の悪いコミュニケーションになるパターンを「ゲーム」となぞらえ そのコミュニケーションのパターンを考えるものなのですが・・・
その背景には、自分を肯定するために他を使う。言い換えれば 自分を自分で肯定できない時に人は他を使ってしまう というものです。
私もあなたも唯一の人。
それが 自分も唯一の人 と思えない時、感じられない出来事が積み重なった時、優位性が唯一性にとってかわることがあります。
そうした時、人の主体性は揺らぎを持ち始め、
ゲームを行ったり、ゲームに巻き込まれたり、ある出来事を極端な角度から見ることにつながる事があります。
役割でいえば 役割を役割として見れなくなる。
社会は(勿論家庭もですが)唯一性を持った人たちの集合体。
そして会社は、その人たちが理念に向い、役割を持って利益を生み出す共同体でもあります。
その中で、もし 唯一性が脅かされたり、自分で見失ったりすること が起こると、役割が本来の役割に見えなくなることがあります。
土台や芯 主体が揺るがない時と、揺らいでいる時の世界の見え方、他人の言動の受け取り方は変わってきます。
唯一性を失わず、けれども役割も引き受ける。
だからこそ、会社の中で役割を生きる時には、役割を支える基盤として「自分」という土台が必要なのだと思います。
そのために何ができるでしょうか。
まずは、自分の主体が揺らぐのはどういう時なのかを知ることかもしれません。
どんな時に、自分は怒りやすくなるのか
どんな時に、相手を下に置きたくなるのか
どんな時に、自分を下に置きたくなるのか
どんな時に、言えなくなるのか
どんな時に、自分の役割が重たく感じるのか
主体の揺らぎに気づけない時、人は役割そのものに飲まれたり、逆に役割を拒んだりしやすくなることがあります。
なので、自分の動きを知ることが、自分という土台を持ったまま役割を生きることへの、最初の一歩になるのだと思います。
私は ゲームをおこなうことが ゲームに飲み込まれることが いけない と言いたいのではありません。
役割に飲まれたり、拒んだりすることが、いけない と言いたいのでもありません。
ただ、そうしたことが起こっている時、自分という大切な主体が揺らいでいるサインである可能性があります。
揺らいでいる時、人はいつもの自分とは少し違う角度から物事を見たり、受け取ったり、見えなくなったりすることってありますよね。
皆さんの大切な人生の中で、心から納得して生きていっていただきたいな と 勝手に願っております。



